沖縄から鉄道で東京に帰った話【前編】

車両交換の放送が流れた瞬間鳴り響くドアチャイム。次々とドアが開き、立客から順に向かい側の電車へ乗り換えていきます。当然、クロスシートの窓側に座っていた私は遅れをとり、交換先の電車に乗り込んだときには既に満席。しかも、その電車はロングシート車でした。

約30分遅れで鹿児島中央駅を発車した都城行き。3月に開業したばかりの仙厳園駅に停車しますが、満員なので写真は撮れません。本来、クロスシートから優雅に眺めるはずだった錦江湾の絶景は、ロングシートの窓越しに。しかもこの車両、もともとあったクロスシートを横向きにした改造車なので、窓の実効面積が狭まっています。ああ、なんと残念――

そんな満員状態も、発車から約40分ほど経った隼人駅とその次の国分駅で解消。一気に車内はローカル線の様相を呈します。それもそのはず、鹿児島中央駅から国分駅までの区間は鹿児島都市圏として30分ヘッドの運転がなされているのですが、国分駅から宮崎都市圏の端となる西都城駅までは山間部の過疎地で、普通列車は約2~3時間にたったの1本。先ほど指宿枕崎線に軽く乗ったのは、数少ない峠越えの普通列車であるこの列車の時刻にあわせるためでもあったわけです。

ロングシートとはいえようやく人権を確保しホッと一息。ただひとつ、西都城駅で乗り継ぎ予定の列車に間に合うかだけが心配でしたが、しっかり接続をとってくれる旨が放送で知らされました。もはや回復運転は諦めモードのようで、ジョイント音を響かせながらのんびり進んでいきます。

西都城駅で乗り換えた電車は再びの転換クロスシート車!今度は無事クロスシートからの雄大な景色を眺められます。撮影地として有名な青井岳駅を通り、宮崎県へ。

南宮崎駅では、観光特急36ぷらす3海幸山幸の並びを見ることができました。さっそく九州の鉄道を満喫し、景色が見られなかった悲しみも吹き飛びます。

鹿児島中央駅を出てから丸々3時間。16時10分頃、宮崎駅に到着です。817系787系の組み合わせ、どちらもモノクロな感じで面白いですね。


さて、この日のうちに大分まで行かなければならないため、ここからは特急列車の旅です。1日1往復のみ博多と宮崎空港を直通する、日本最長の昼行特急・にちりんシーガイア号に初乗車!宮崎から大分まで3時間乗るのですが、それでも全体の半分にすぎないと言うのだから驚きです。

ちなみに、にちりんシーガイアの下にさりげなく表示されている「ワンマン2ドア延岡行き」普通列車。撮影時は気にも留めていなかったのですが、よく考えてみると、2ドアなので少なくとも817系ではない。さらに時刻表を調べると列車番号に”M“がついているので、キハ40形などの気動車でもなさそうです。なんだかおかしいぞ?

――そう。この列車、現在では2両編成2本しか活躍していない国鉄型電車、713系だったのです(画像は南宮崎駅に留置中のもの)。しかも、レアな「代走」。さらにさらに実は713系、単に数が少ないだけでなく、車内に485系由来のリクライニングシートを設けている乗り得車両なんです。

大分に着くのが遅れてでも乗っておけばよかったなと思ったのですが、この事実に気づいたのは既に特急に乗ってしまい延岡駅を発車した後のこと。いつ引退するか分からない古い車両ですから、早く再来訪して乗りたいものです。


気を取り直して、特急に乗っていきましょう。やってきたのは787系の6両編成。実はこの車両、車内設備のバリエーションが(おそらく)日本一豊富なのです。

いったいどういうことなのか?まずは、「最もまともな区画」から見ていきましょう。

さあ、こちらが「最もまともな区画」――と言っても、既に個性が全開です。独特な形状の天井、飛行機を思わせるハットラック式の荷物棚座席1列ごとの窓。客室の中央に鎮座する荷物スペースも面白いですね。シートピッチは1,000mmで、JR特急型の標準よりはやや広め。ゆったりと座れます。

この(仮称)「一般席区画」は2号車と4~6号車に設定されており、席数も最多です。ですが、車両ごとに座席モケットが異なり、飽きの来ない仕様になっています。

続いての区画がこちら。ええ、どう見てもおかしいですね、天井が。さらに座席も「一般席区画」とは違い、北九州を走る885系に似た仕様。窓割りも微妙に合っていません。

3号車の約半分を占めるこの異様な区画、実は元ビュッフェ。車両称号も、現在こそありふれた「サハ」なものの、かつては「サハシ」でした。当時の運用線区は、そう、現在では新幹線に受け継がれている「特急つばめ」

特急つばめと言えば、九州の大動脈である鹿児島本線の大部分、博多から西鹿児島(現在の鹿児島中央)までを4時間以上かけて走り抜ける、かつてのJR九州のフラッグシップトレインです。そんな特別な列車のために開発され、1992年7月のダイヤ改正で華々しくデビューを飾った787系では、そのブランドと乗車時間にふさわしい、非常に豪華なサービスが提供されました。

各列車に専属の「つばめレディ」と呼ばれるアテンダントが乗務し、ホットコーヒーや軽食を販売。グリーン車にはシートサービスもあったといいます。その車内サービスの拠点となったのがここビュッフェで、大きなカウンターが設置され、乗客の憩いの場でもあったんだとか。

現在でも「つばめ」時代の表記類がところどころに残っています。

しかし、この世は盛者必衰。デビューから12年後の2004年、九州新幹線新八代~鹿児島中央間が開業し、787系は活躍の場を移すことを余儀なくされます。堂々の9両編成だったつばめ用787系は6~7両に短縮され、新たに東九州方面の特急として第二の車生をスタートしました。

編成が短縮されてしまった787系。しかし、それは必ずしも退化を意味しませんでした。かつてビュッフェだった区画には新たに普通席が設けられることとなり、荷物棚を作れない関係でシートピッチは1,200mmグリーン車と同レベルに。座席も当時最新鋭だった885系 (885系以来25年間新型の特急電車が出ていないのは内緒…) のもので、ややグレードアップになりました。私も実際一部区間で乗車しましたが、卵型天井と広いシートピッチのおかげで開放的な雰囲気。唯一、窓割りは改造が難しかったのかややズレていますが、それも気にならないほど楽しい座席でした。

元ビュッフェ区画を抜けて車両中央の仕切り扉を開くと、先ほどの開放的な車内から打って変わって、ガラスの仕切りがついた4人がけボックスシートの並ぶ区画が姿を現します。片側3組ずつ、合計6組あるこのボックスシート、その名も「セミコンパートメント」です。

こちらが座席の様子。リクライニングこそ無いものの背もたれには充分な角度がつけられ、足元もかなり広々。そして最も目を引くのは中央の大きな折り畳み式テーブルと、そこに載っている丸いライトでしょう。画像ではテーブルがしまわれた状態ですが、両側を開くとこの2倍ほどの大きさになるんですよ。

宮崎駅で乗車した時点ではこの区画に空きがなく、一般席区画元ビュッフェ区画を乗り比べして楽しんでいたのですが、宮崎駅から1時間強、延岡駅発車後にもう一度見てみると空き席が!すぐに荷物を移動させ、飲み物やお菓子をテーブルに広げて「くつろぎ体制」に移ります。

――そう、驚くべきことに、この列車の指定席は1号車(グリーン車)と2号車だけ。編成の大部分を占める3~6号車はすべて自由席なので、ここまで紹介した3種類の普通席をすべて乗り比べできるんです。

ちなみに、1号車のグリーン車も「開放グリーン席」「DXグリーン(元トップキャビン)」「グリーン個室」の3本立てとかなりカオスなのですが、それはいつかグリーン券を買えるほどの財力を持ったときに紹介しようかと思います。その時までに787系残ってるかな。


時間を少し戻しましょう。宮崎駅を出て2つめの停車駅である高鍋駅を発車してしばらくすると、突如として車窓に長いコンクリートの高架橋が見えてきました。日豊本線の線路に沿って途切れることなく続き、橋の上にはソーラーパネルが設置されています。明らかに鉄道施設なこの高架橋は、「宮崎リニア実験線」の跡地。1979年に全長7.0kmが開通し、同年に最高時速517km/hを記録したことでも知られる、鉄道史上重要な試験線です。

しかし、この宮崎試験線には問題がいくつかありました。まずひとつは、線路がまっすぐすぎること。次に、トンネルがないこと。トンネルでの騒音低減は、超高速で走る列車において大きな課題になります。そして、単線のため行き違い試験ができないこと、実験線が短すぎ、高速走行の試験に適していないことなども問題でした。

そこで新たに建設されたのが、みなさんご存じの山梨実験線!全長42.8kmを誇る全線複線の実験線で、長大トンネルやカーブ区間もあります。山梨実験線では研究開発を重ね、宮崎実験線の記録を上回る最高時速603km/h(もちろん世界一)も達成。こうして、宮崎実験線の成果は今に受け継がれているのですね。


さてさて、宮崎県北の延岡駅を出た列車は、次の佐伯駅まで約1時間にわたって停まりません。この区間こそ、18きっぱー泣かせの「宗太郎越え」。宮崎・大分県境の山間部は人家もまばらで、全区間を走破する普通列車は、朝に1往復・夜に上り1本の、合計1.5往復のみです。

「じゃあその時間に合わせて行けばいいな」と思ったアナタ、宗太郎を侮ることなかれ。朝の1往復に乗るなら、佐伯または延岡での前泊は必須。夜の上りに乗るにしても、何も見えない真夜中に延々と普通列車に揺られ、23時頃にようやく大分駅に着くことができるだけです。途中駅で降りようものなら、命の保証はありません。

――そんな過酷な区間も、2時間おきに運行している特急列車であれば楽ちん。18時42分、何の苦労もせずに、大分県の最南端・佐伯駅に到着です。普通乗車券ってすごいですよね、特急券を買えば特急に乗れるんですから。わざわざ前泊した18きっぱーのみんな、見てる~?w

でも、私も次は普通列車で旅しようと思っています。実は、佐伯~延岡を走破する普通列車は、すべて787系4両編成での運転。特急列車の方が圧倒的に多いので、運用上都合がいいのでしょうね。実際、下り列車の延岡駅到着後はそのまま「特急ひゅうが」となるようです。

なお、普通列車としての運用時は一番先頭の車両のみ開放するため、「クロハ」が先頭になる下り列車にはグリーン車が設定。乗車中の車両のような、DXグリーンや個室といった豪華設備こそありませんが、首都圏の2階建て車やマリンライナー以外で「普通列車グリーン車」を体験できる数少ない列車なわけです。


宮崎駅から3時間4分の旅を終え、19時41分、列車は大分駅に到着しました。これだけ長い旅だとつい「終点の」などとつけたくなりますが、さすがは日本最長特急「にちりんシーガイア」。大分は経由地にすぎず、ここから終点の博多まであと2時間23分、距離にして198.5kmを走り抜けます。ようやく前半戦が終わったな、といったところでしょうか?本当にスケールがおかしいですよね。

個人的に「大分といえば」な815系とご対面し、本日の行程はこれで終了。駅前の安宿に入り、一夜を明かすとしましょう。

明日は九州を脱出し、中国地方に入ります。そして、瑠璃色に輝く「あの列車」へ――!

次回、「沖縄から鉄道で東京へ帰った話【中編】」

乞うご期待!!

投稿者プロフィール

しょうゆ

コメント

タイトルとURLをコピーしました